皆様、こんにちは!
随分久しぶりの更新となります(。-人-。)
広島に原子爆弾され、76年が経ちました。
今回は、原爆投下のお話です。
昭和20年(1945年)8月6日、月曜日の朝は快晴で、真夏の太陽がのぼると、気温はぐんぐん上昇しました。
深夜零時25分に出された空襲警報が午前2時10分に解除され、ようやくまどろみかけていた人々は、午前7時9分、警戒警報のサイレンでたたき起こされました。
この時はアメリカ軍機1機が高々度を通過していっただけだったため、警報は午前7時31分に解除されました。
随分久しぶりの更新となります(。-人-。)
広島に原子爆弾され、76年が経ちました。
今回は、原爆投下のお話です。
昭和20年(1945年)8月6日、月曜日の朝は快晴で、真夏の太陽がのぼると、気温はぐんぐん上昇しました。
深夜零時25分に出された空襲警報が午前2時10分に解除され、ようやくまどろみかけていた人々は、午前7時9分、警戒警報のサイレンでたたき起こされました。
この時はアメリカ軍機1機が高々度を通過していっただけだったため、警報は午前7時31分に解除されました。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
人類史上最初の原子爆弾が、広島に投下されました。
原子爆弾は、投下から43秒後、地上約600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には最大直径280メートルの大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度にも達しました。
爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。
原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長期間にわたり人々を苦しめたことにあります。
↓ ↓ ↓被爆者の声などが、掲載されているサイトのURLです。↓ ↓ ↓
NHK 原爆の記憶 ヒロシマ・ナガサキ
戦争という、私達には縁のないもの、過去の話だと思われがちですが、人という生き物がしてきた事です。
もう2度とないとは言い切れないのではないでしょうか。
ただ、2度と繰り返してはいけない事だと、後世まで語り続け、防ぐことはできるはずです。
そのためには、知ることが必要だと思います。
今日は、そんなことを考える日です。
もちろん、平和が続くことが一番良いですけどね.。゚+.(・∀・)゚+.゚
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